昨年の10月24日のブログで、「廃藩置県 藩が消えた日」
については後日書きますとしてましたので、愛媛県について書かせて
頂きます。
明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県が断行され、翌日15日
伊予の八藩(松山藩・今治藩・西条藩・小松藩・宇和島藩・大洲藩・
吉田藩・新谷藩)はそれぞれ県となります。
明治4年(1871年)11月15日、松山県(4県合併)設置、宇和島
県(4県合併)設置により、今治県は無くなります。
明治5年(1872年)2月、松山県は石鉄県と改称され、同6月、
宇和島県は神山県と改称されます。
明治5年(1872年).10月2日、石鉄県は県庁を松山から今治に移
転することを大蔵省に書類を提出し、17日に許可を得てます。理由
は地理的に今治が石鉄県の中心になること、旧今治藩庁なら建物が利
用できるため、費用が不要とのことでした。
明治6年(1873年)1月13日、石鉄県県庁は松山から今治に移転
され、同年1月17日に開庁し、同年2月20日に石鉄県と神山県が
合併し、愛媛県となりました。
明治6年(1873年)3月1日に再び今治から松山が県庁となり、
3月23日開庁しました。
わずか2ヵ月ほどですが、今治に愛媛県の県庁がありました。